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沖縄と在日表象と傷の記述から現代日本の植民地主義と植民者の姿を暴き出す、挑発的論考。
『植民者へ―ポストコロニアリズムという挑発』
野村浩也 編
野村浩也/池田緑/郭基煥/ C ・ダグラス・ラミス/桃原一彦/
島袋まりあ/金城正樹/冨山一郎/知念ウシ/アシス・ナンディ

この本の内容――「はじめに」より(抜粋)
「ヨーロッパのあらゆる街角で、世界のいたるところで、人間に出会うたびごとにヨーロッパは人間を殺戮しながら、しかも人間について語ることをやめようとしない。このヨーロッパに訣別しよう。」
フランツ・ファノンは、死の直前に刊行した『地に呪われたる者』において、こう呼びかけた。では、いったいだれに呼びかけたのか。
この呼びかけは、逐語的に読めば、被植民者を宛先としたものと解されるだろう。だが、別の宛先を読みとることも不可能ではない。彼のいう「ヨーロッパ」は、「植民地主義」および「植民者」とほとんど同義といっても過言ではないし、「人間」については、「被植民者」と解釈することも可能だからだ。そのように読みかえてみれば、1961年のファノンのことばは、ポストコロニアリズムというきわめて今日的な問題に介入する新鮮なことばとして蘇ってくるのではないだろうか。
さて、植民地の多くが独立を達成したにもかかわらず、植民地主義が終わりを告げることはなかった。では、なぜ植民地主義は終わらなかったのか。ファノンのいう「人間」を「被植民者」に、「ヨーロッパ」を「植民者」に読みかえて敷衍すれば、植民地独立後も、「被植民者に出会うたびごとに、植民者は、直接にも間接的にも被植民者を殺戮しながら、しかも被植民者について語ることをやめようとしなかった」からである。このような終わらざる植民地主義という現実を批判的に分析し、その解体を構想するための概念として、ファノンの死後に生みだされたのが、ポストコロニアリズムである。
そして、植民地主義は今この瞬間も継続中である。この現状を認識した上で、「ヨーロッパに訣別しよう」ということばを同様に読みかえてみるならば、ファノンの呼びかけは、より切実な響きをもって聴こえてくるのではないだろうか。
植民地主義に訣別しよう。
植民者に訣別しよう。
ポストコロニアリズム研究を駆動してきたものこそ、このような呼びかけにほかならない。本書もまた、同じ呼びかけを共有している。だが、植民地主義との訣別は、何も被植民者だけの課題ではない。また、植民者と訣別すべきは、被植民者ばかりではない。植民地主義ともっとも訣別しなければならないのは、むしろ植民者の方なのだ。さらに、植民者ともっとも訣別しなければならないのも、植民者自身にほかならない。なぜなら、植民者自身が植民地主義と訣別しないかぎり、植民地主義はけっして終わらないし、そもそも終わりようがないからだ。植民者は、みずからの植民地主義と訣別することによって、植民者としての自分自身に訣別しなければならない。
よって、ファノンの呼びかけの今日的な宛先について、こう考えることができるだろう。
植民者へ
さらに詳しい内容はこちら さて、本書が追究するのは、日本国において、ポストコロニアリズム研究を実践することである。したがって、植民者を分析することが主要な研究課題となる。これは、いうまでもないことである。しかしながら、それを述べただけで、批判や挑発として機能してしまうのが、日本国における研究の現状ではないだろうか。そうなってしまうのは、研究者の圧倒的多数を植民者たる日本人が占めるなか、日本人を問わない研究がほぼ無批判にまかり通っているからである。
このような現状では、まずはポストコロニアリズム研究の基本に立ち返ること、とりわけ、植民者を特定することが重要となる。「第吃堯/¬閏圓箸呂世譴」において、野村浩也論文「日本人という植民者」は、日本人を植民者として定義する理論的な作業を、沖縄人という被植民者の位置から行なっている。つづく池田緑論文「沖縄への欲望」においては、植民者とは、池田自身のことでもある。そして、「沖縄ブーム」にみられるような日本人の言説の政治を分析することによって植民者としての日本人の姿がきわめて具体的に記述され、批判される。それが可能となったのは日本人を研究することが、植民者としての池田自身をも批判的に分析する行為となりえたからである。つまり、池田論文は、植民者による植民者研究であり、日本人という植民者が、他の日本人と闘うと同時に自分という日本人とも闘うことによって、植民地主義と訣別する方法を提起しているのだ。しかも、日本人自身が、日本人を植民者と認識して本格的に分析・批判した研究の実現は少なくとも日本国のポストコロニアリズム研究では、実に初めてに近い出来事ではなかろうか。
日本人が植民地主義との訣別を志向するのなら、日本人に歯向かうことだ。しかも、日本人の暴力が自分に向かってくるかもしれないという恐怖のなかで。そう提起するのは、郭基煥論文「責任としての抵抗」である。ファノンとレヴィナスを援用しながら植民地主義の暴力について根源的に分析する郭論文は、日本人の暴力に対決を挑むテクストとして李良枝の小説を読み直し、従来の植民者的解釈に再考を迫ることを通して、在日朝鮮人文学をポストコロニアル文学として再定位する。在日朝鮮人とは、植民地主義的表象化に回収されがちな「不遇感」ではなく、植民地主義的暴力が支配する現実に「不条理感を抱える存在」なのであり、植民者日本人に対する「責任としての抵抗」へと必然的に促される存在なのだ。郭の分析は、植民者の暴力と被植民者の抵抗との関係についての普遍的な説明力を兼ね備えており、ポストコロニアリズム理論への新鮮な貢献となるものといえよう。
つぎに、「第局堯〔酥擇般し――欲望される植民地から」では、植民地への欲望という植民者の具体的な問題が分析される。それは、暴力的で野蛮な欲望である。被植民者を犠牲にして、植民者が自己の野蛮な欲望を存分に満たすことのできる癒しの空間、それが植民地なのだ。したがって、植民地とは、植民者という野蛮人にとって、文字通りの「楽園」――野蛮人のための癒しの楽園――にほかならない。にもかかわらず、いつも決まって「野蛮」や「ならず者」と表象されるのは、なぜか被植民者の側なのだ。
沖縄を含めて世界各地に散らばる725余もの米軍基地は、合州国の暴力を基盤とする植民地への欲望――帝国の欲望――を象徴している。ダグラス・ラミス論文「帝国を設けて、何がいけないのか?」は、チャルマーズ・ジョンソンのブローバック論を検討しながら、帝国としての合州国そのものが、9.11等のテロを作りだした原因だと分析する。したがって、「テロに対する戦争」もまたテロの原因にほかならず、帝国を設けるかぎり、この戦争には勝てないのだ。
ところが、沖縄は今、この戦争への加担を強制されている。軍事要塞として沖縄を植民地化したのも、野蛮人の楽園への帝国の欲望だったからだ。しかしながら、沖縄人を一方的に犠牲にして、この楽園を提供した張本人こそ、日本人にほかならない。その点、桃原一彦論文「「観光立県主義」と植民地都市の「野蛮性」」が指摘するように、凶暴さを.き出しにした巨大な米軍基地は、沖縄が日本の植民地である側面を覆い隠す機能をはたしてきたといえよう。桃原論文が特に注目するのは、植民地を維持・管理する洗練された植民地主義的技法である。それは、観光開発を通じて「南国の癒しの楽園」といった沖縄表象を大量に生産−消費し、あたかもテーマパークのごとき空間としての沖縄の再領有を自然化する。また、こうした文化的消費を通じての「観光立県主義」的言説のヘゲモニー化によって、「野蛮人のための癒しの楽園」という沖縄の実像の隠蔽も正統化される。そして、このヘゲモニーを脅かす沖縄人を「野蛮な原住民」として分節化し、排除と矯正の対象とするのだ。実際には植民者こそ野蛮であるにもかかわらず、あべこべに被植民者の方を「野蛮」と表象するのは、植民者の野蛮性を隠蔽すると同時に、植民地を支える従順で廉価な従僕として被植民者を規律化する方法だからである。
こうした文化的植民地化を通じた植民地の管理には、学問的言説も加担してきた。島袋まりあ論文「太平洋を横断する植民地主義」が、地域研究等で主流の「抑圧移譲論」を批判するのもそのためである。日本は植民地ではないし、合州国が日本を抑圧し、それを日本が沖縄に移譲するといった「二重の植民地主義」は存在しない。沖縄への米軍基地の集中は、日本の植民地主義と合州国のそれとの共犯関係の帰結であり、沖縄は日米合作の植民地なのだ。その関係とは、植民地を欲望する両者が利害を共有し、互いを必要としながらともに沖縄を収奪する「太平洋を横断する植民地主義」にほかならない。この植民地主義の解体を志向する根本的な議論として、島袋論文が注目するのは、米軍基地を沖縄から日本に返還する「県外移設論」である。県外移設論は合州国を問題化できないとの誤解もあるようだが、実際はまったく逆なのだ。それは、合州国と日本とを同時に批判することを可能にし、植民地を必要としない新たな日米関係への転換を迫ることによって、植民地主義との訣別を呼びかけているのである。
さて、「第敬堯…餽海竜述にむけて」における金城正樹論文「同定と離脱」と冨山一郎論文「この、平穏な時期に」は、第吃瑤粒坿鞏縅席犬箸盒舛合いながら、脱植民地化の運動が鎮圧された後の絶望的状況が開示する抵抗の可能性を記述する試みである。鎮圧「後」とは、「結局、植民地主義は終わらない」という絶望を強いられる現実であると同時に、「いまだ決着はついていない」という解放の夢の途上でもあるのだ。また、抵抗の記述とは、当然ながら、鎮圧がもたらした「傷」を、支配の秩序によって縫合することでもなければ、事後確認的な分類によって既存の学問や運動の枠内に回収することでもない。むしろ、「抵抗」という概念ですら、記述行為において根本的に問い直されなければならないのだ。それは、傷に寄り添う記述を通して記述者自身が変容する過程であり、傷が生まれ変わる未来の可能性の記述へと踏み出すことによって、記述者自身の生きる世界を別のものに変革しようとする営みなのである。
別の世界とは、植民地主義と訣別した世界でもあるだろう。それは、もちろん、アシス・ナンディが志向する世界でもある。植民地主義研究で世界的に著名なナンディの著作の日本語訳は、残念ながらまだ少ない。知念ウシが実現した本書収録のインタビュー「植民地主義後の植民地主義」では、互いに遠く離れた国で生きる被植民者同士が、植民地主義との闘いという共通の経験を通じて、直接顔を合わせる以前から実質的に連帯してきたことが理解されるであろう。おそらく、世界中の被植民者同士が同様の形で連帯してきたのだ。このことは、植民者による抑圧と植民地主義的搾取が、その構造において世界共通であることを示す現実でもある。
最後に、第吃瑤ら第敬瑤遼尾に設けられたコラムは、被植民者が強いられてきた言語間の移動を逆手にとって、沖縄語、日本語、英語の間を渡り歩く記述行為である。強制された言語間の移動を被植民者が積極的に横領することは、植民地主義を挑発し、攪乱する行為となりうる。そして、それは、本書の目指すところでもある。ポストコロニアリズム研究とは、植民者の学問を横領し、植民者に投げ返すことによって、植民地主義の基盤を掘り崩す実践でもあるからだ。
この本の目次
はじめに
第I部 植民者とはだれか
日本人という植民者 野村浩也
1 帝国主義・植民地主義からポストコロニアリズムへ
2 植民地主義は終わらない
3 日本人=植民地主義の実践主体
4 日本人=不平等の製作者
5 精神の植民地化
6 沖縄人は日本人ではない
7 日本人=民主的植民者
沖縄への欲望――“他者”の“領有”と日本人の言説政治 池田緑
1 沖縄への言説の政治
2 沖縄に移住する日本人
3 言説による沖縄の“領有”
4 日本人の間での言説の政治
5 日本人の内なる政治
6 沖縄から遠くはなれて
責任としての抵抗――ファノン、レヴィナス、李良枝を中心に 郭基煥
1 北朝鮮表象と在日朝鮮人
2 責任としての抵抗
3 〈ハン(恨)〉と共に――李良枝の小説から
4 あなたにできること
コラム 憲法九条漫才「沖縄に九条ってあるの?」(ウチナーヤマトゥグチにて)知念ウシ+宮里護佐丸
第局堯〔酥擇般し――欲望される植民地から
帝国を設けて、何がいけないのか? C・ダグラス・ラミス
1 沖縄は典型なのか?
2「帝国の悲しみ」
3 帝国を設けて、何がいけないのか?
「観光立県主義」と植民地都市の「野蛮性」――沖縄の土地・空間をめぐる新たな記述段階 桃原一彦
1 抵抗への開始点としての空間の記述
2 武器庫の島、弾薬庫の森
3 植民地都市の形成と原住民労働力の動員・配置
4「観光立県」都市における植民者と原住民
5 増殖・潜行する「野蛮」な記述空間
太平洋を横断する植民地主義――日米両国の革新派と「県外移設論」をめぐって 島袋まりあ
1 複数の場所から
2 沖縄における植民地主義の展開
3 県外移設論は植民地主義を暴露する
4 植民地的な生権力――観光客から革新的な運動家へ
5「アメリカが一番悪い」――太平洋における「抑圧移譲」の問題
6 太平洋を切り開くために
コラム ユタヌヤーカラタイムトラベル2004――古琉球人は未来の沖縄の夢を見たか 知念ウシ+座安松
第敬堯…餽海竜述にむけて
同定と離脱――清田政信の叙述を中心にして 金城正樹
1 沖縄におけるポストコロニアル状況
2 「敗北を所有する者」と六〇年代
3 同定と離脱
4 帰還と脱出
この、平穏な時期に――東京タワージャックにおける富村順一の「狂気」をめぐって 冨山一郎
1 鎮圧のあとで
2 「これ以外には方法がなかったのです」
3 狂気の体現者
4 取調室
5 精神鑑定
植民地主義後の植民地主義―― Colonialism after colonialism アシス・ナンディ 聞き手・訳:知念ウシ
コラム アメリカで在沖米軍基地の日本“本土”お引き取り論を語る 知念ウシ
あとがき
この本のデータ
- 書名:植民者へ――ポストコロニアリズムという挑発(しょくみんしゃへ ぽすところにありずむというちょうはつ)
- 編者:野村浩也
- 判型:四六判(127×188mm)
- 製本:並製(ソフトカバー)
- 頁数:512頁
- 価格:3200円+税(税込み3360円)
- ISBN:978-4-87984-253-4 C0036
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